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読んで良かった本、栄養になった本の記録です。

『誰にでもできるアンガーマネジメント』/安藤俊介

 

誰にでもできるアンガーマネジメント (ベスト新書)

誰にでもできるアンガーマネジメント (ベスト新書)

 

「怒り」という感情との付き合い方=アンガーマネジメント。怒ってはいけないというものではありません。

”怒らないことが目的ではなく、怒る必要のあることは上手に怒り、怒る必要のないことは怒らなくて済むように線引きする” - はじめに p3

その線引きができるようになるためにはどうしたらいいかを端的に、様々な方法を紹介して下さっています。とても読みやすくてページをさらさらめくる…ものの、読めば読むほど「うう…」となってしまう。怒りが湧いた時に本当にできるかなあ?!と。

一通り読み終わったあとで、「ふはぁ…」とため息と疲労が若干混じったような何かが出てしまいましたが(私は本当に修行が足りてない)、あとがきの最後の一文で「そうだよなあ」と思いました。

”これからも「怒りの連鎖を断ち切ろう」の理念の下、人が人にあたらない社会を目指して、アンガーマネジメントをしていきましょう。” - p223

 感情って人と人との間で連鎖しますもんね。嬉しいも楽しいも、イライラも悲しいも。マイナスな連鎖は自分で断ち切るに限る。今日、仕事でまさに連鎖が生まれつつあったけど、本で読んだことを思い出してちょっと実践してみた。そうやって実際にやって実感しての繰り返しで、少しでも成長していきたい。殺伐とした世界よりも、やわらかい世界に身を置いていたい。

 

本書の中で特にためになった部分を以下引用。怒りかけたら思い出す。

”心のコップに溜まっている、自分の『第一次感情』に注目する” - p23

”怒っている人は、自然と第一次感情を口にします。それを聞いてほしいし、理解してほしいからです。” - p172

 怒りは第二次感情で、第一次感情がコップから溢れる=怒りとして溢れる。第一次感情の中にイライラの答えがある。

 

”怒るか、怒らないかの境界線は「後悔するかどうか」” - p30

”そのことを怒って後悔するのであれば、それは怒る必要がないことです。そのことを怒らなくて後悔するのであれば、それは怒る必要のあることです。” - p31

この物差しを得られたことはとても大きい。

 

 ”他人の価値観は理解しようとしなくても、自分と違うと認めることだけでよいのです。” - p118

”できないことはできないままでいいのです。変えられない原因にこだわるよりも、どうすれば良くなるのかという視点で常に考えるようにしましょう。” - p137

”普段、私たちが何気なく使っている「なんで?」という言葉は、質問をしているつもりが、実のところは相手を責めているだけだったのです。(中略)「なんで?」の代わりに「どうすれば?」という言葉を使うようにします。” - p206, 207

 

 ふはぁ。本当に、日々勉強、勉強。他にもいっぱい学べたことがあって、でも途方もない気持ちにもなるんだけど、本書のタイトルは『誰にでもできるアンガーマネジメント』。誰にでもできるなら、きっと私にもできるはず。

『知の体力』/永田和宏

以前にネットニュースで取り上げられているのは見たものの、他にも何かで取り上げられたのかな?私の街の図書館では現在14人待ちの一冊がこちら。

知の体力 (新潮新書)

知の体力 (新潮新書)

 

 

”自力で生きぬくための本物の「知」の鍛錬法”

 

これは、カバー裏に書かれてある言葉。ここ最近、そういったテーマを自分で追い求めているフシがあって、なんとなく探したり見つけたりして読んでいます。

『知の体力』の前に読んだこの本↓も大変興味深く、書けるなら書いておきたいけど、今日は『知の体力』について書きます。 

 

知性を磨く― 「スーパージェネラリスト」の時代 (光文社新書)

知性を磨く― 「スーパージェネラリスト」の時代 (光文社新書)

 

 

ものすごく大雑把にざっくり言うと、この2冊は大体同じことを仰っていて(知恵とは・知識とはどういうものか、またそれをどのように身につけ活用していける自分になるか)、でもそれぞれに視点やアプローチが異なっており(田坂氏はTHEビジネス!なシンクタンク代表&工学博士、永田氏は日本を代表する歌人&細胞生物学者。お二人とも大学で教鞭を執られており、たいへん学識がおありになる方)、両方とも大変面白かったのです。生きる上で大切な知性を学べる良書です。

 

『知の体力』について書きたいと思ったのは、新書で泣いたのは初めてだったから。書いてあることは新書らしい有益な内容ですが、1冊のストーリー(小説?)を読み終わったかのような感覚でした。多分、ご自身のお若い頃から現在までの道のりを辿りつつ、上手いこと(←偉そうにすみません)「知」に対しての見解や持論を体系的に書かれてあるからかなと思いました。(体系的にという点では田坂氏の本も同じ)

 ただ、涙が出た理由を含めてもう一歩考えると、『知の体力』は最後の最後で、「知」というものを考え論じ展開してきた最後の章で、亡くなられた奥様とのお話を織り交ぜつつ、「知」を得ることの根源的な意味というか、「何のために」の根っこ中の根っこを書いていらっしゃるような気がしたのです。(その根っこ中の根っこが、今の私に響きすぎて泣いてしまったのかもしれん)

奥様とのお話は非常に心打つものではありますが、それに涙するというよりも「これだけページを割いて色々語ってきたけどね、本当に一番大切なことはこういうことだと思うんだよ」ってその「流れ」と「根っこ」が…もうなんか涙‼だったんです。ボキャ貧甚だしい表現だな。泣いた私は特殊な例だと思うけど、本当に良い本だなって思ったんですよ。

”どんな大学に入学しても、どんな賞を獲得しても、どんな大会に優勝しても、どんな素晴らしい成功を収めても、心から喜んでくれる人がいなければなんの意味も持たないのとちょうど逆に、ほんのちょっとした自分の行為を心から褒めてくれる存在があるとき、自分がそれまでの自分とは違った輝きに包まれているのを感じることができる。” - p220

 何のために『知の体力』を養うのか?「大切な相手」のため?いや、そうじゃなくて(それだけじゃなくて)、その「ちょうど逆」にあるもの。本当の「知」を得て、相手の行為を心から褒められる”自分”になれたとしたら?

”そんなポジティブな「相槌」によって、次々に自分のアイディアが展開し、どんどん深く、あるいは高く伸びていくのを実感するとき、(中略)自分の能力というものが開かれていくのを実感するものだ。自分が全的に受け容れられていると感じることができるとき、人間はもう一歩先の自分に手が届くものである。” - p212

 

相手を開かせていけるようなポジティブな行為を本書では「正(=プラス)のフィードバック」と呼び、お互いに「正のフィードバック」をかけあえる相手といるべきだ(伴侶となるべき存在もそうであってほしい、とも)、そんな相手と出会ってほしい - と述べられています。

多分、そんな相手と出会ったり、一緒にいられるためには、まず自分が「知」を得て「正のフィードバック」をかけられるようになっていないとな、と。そんな自分になるための『知の体力』であり、最終章までのすべての章であったと読んだ後に思います。(単純に、各章に出てくる昨今の大学事情や先生エピソード、細胞生物学や短歌のお話も面白いのですが、全体を通してフィードバックをかけられているようでそれも楽しい)

 

友人・同僚・恋人・夫婦・親子 - どんな人間関係においても、相補的にお互いが開かれていける関係だったら、人生もっと楽しいだろうなと思います。そう思う自分だったら、多分相手も楽しいはずと楽観的な私は思うのですが、それは置いておいたとして、そんなお互いの関係性の中で相手と相対化して自分を発見していけることも、きっと楽しいことですよね。生きていくことは、そういうことであってほしい。

『詩集 小さな手紙』/銀色夏生

 

詩集 小さな手紙 (角川文庫)

詩集 小さな手紙 (角川文庫)

 

 

最初に挙げる本は何にしようかと考えた時に、「最終的にはいつもここに戻ってくる」本がいいなと思って、これにしました。そういった原点に回帰するような本自体は、多くはないけどいくつかは持っているという人は結構いるんじゃないかと思う。これは私のそれ。

高校生の時、本屋さんの棚でたまたま手に取って、たまたま読んだら離せなくなりました。離れられなくなったと言うのか。買って、心が無になったような状態で、炎天下の公園で延々と読んでいたことを今でも覚えています。今から十数年前の話。

 

銀色夏生さんの本はいくつか読みましたが、この本の世界、空気、色、情感が飛び抜けて素敵。それらは一つひとつの詩から、フォントから、文字の隙間や行間から、紙の余白から、本を持った感触から醸し出されるもので、デジタルでこの本を読んだら全然違うものになるんじゃないかと思います。電子書籍で読んだことないから判らないけれど。紙の本で読むことの魅力をたたえた一冊。

静かで、やわらかく、淡々とした、カラーの世界(モノクロではない)。すぐそばにある(いる)ようで(い)ない、動物で例えるなら犬じゃなくてねこ。遊びで例えるなら鬼ごっこじゃなくてかくれんぼ。決して急がない時間の中に、自由な自分がそこかしこに投影されます。

全部を書き出すと長くなるし、でも一部を抜き出しても前述の「全体から湧き出る良さ」が一層うまく言えないしで難しいですが、心苦しさを抑えて一部を引用すると

 

”頭の上は群青の空 雲は白さを深くして さえわたる冷気” - 「夕すずみ」

”空気は水のように 雲は泉のように 立ちのぼる

気がつくと もうそこになく あとかたもなく さよなら” - 「緑のあいま」

 

最初に読んだのも夏でしたが、この本は季節で例えるなら夏(晩夏)。夏特有の色合いや清涼感、独特の寂寥感が何とも言えません。クーラーの効いた涼しい部屋でゆっくり読むのが似合うと思う。もしくは、一人旅の旅先で。

 

”甘いお菓子を つめたくひやし 車に乗せて 旅に出よう”(中略)

”苦い忠告を つめたくひやし 床にころがして 旅に出よう” (中略)

”否定はしないよ 早くおいでね” - 「旅にでてます」

 

他にも「バカンス」「思い出のあやめ平」「夜行列車の旅」など、旅絡みの詩が多いのも素敵なところ。旅の描写がない詩でも旅を感じる部分が多々あります。私は読書と同じくらい旅行も好きですが、読んで旅をしたような気持ちになれる本は今のところこの本だけで(旅行のガイドブックや雑誌も好きだけど、本当の実感のように旅を「した」気分にはなれない)、最近旅行に行けていない身としては、もっとそういう本に出会いたいなとも思います。旅行に行って本を読めるのが一番最高だけど。

そういえば江國香織さんが著書の中で、本を読んでいる間は本の中の世界にいるので、現実の世界に自分はいないということを仰っていましたが、この本に関しては私もそれが言える。大体何かを読んでいてもふと「あ、あれどうだったっけ」と意識が現実に戻る時があるけど、この本を読んでいる時、私はこの世界のどこにもいません。それを無と言えるのかは解らないけど、それが私にとっての旅で、十数年前、そして十数年来この本に惹かれた魅力の一つはそこにあります。

 

”悲しみなさい あとでむかえにくるから

行きなさい あとで抱きしめてあげるから

まちがったとしても あとで すべてを聞いてあげるから” - 「悲しみなさい」

 

これは、この本を最初に手に取った時に強烈に心に響いた二つの詩のうちの一つ。涙が目にこみ上げた感覚は今でも鮮やかで、何年経っても、何を読んでも、何度何かを経験しても、またこの本に帰ってきます。

はじめに

もともと本を読むのは好きだったけれど、記録に残すということはあまりしていませんでした。

ここ最近は「特に読みたいモード」が強く、読書量が極端に増えていることもあり、自分にとっての良書 - 読んでよかったな、栄養になったなと思える本 - に出会えることが増え、せっかくなら記録に残しておきたいと思い、ブログをはじめてみることにしました。

 

読書の良いところはたくさんあるけれど、なんといっても一番は、読んだことで自分になかったものが得られることだと思います。

このブログが、私の得たものの記録になると同時に、誰かが目にした時に「ちょっと読んでみようかな」と思ってもらえるようなものになれば嬉しいです。その本を気に入る・気に入らないの話じゃなく、読書は本当に”実際にやってみることでわかる”素晴らしい体験だと思うから。